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日ハムが北広島に来るまでの裏側を聞いて、胸が熱くなった話(前半)

2025年12月01日

みなさまこんにちは。とうとう12月に突入!!
そして、2025年もあと1カ月となりましたねー(毎年思うけど、、、早い~大泣き

先週チビ達2人ともインフルエンザに感染し…
一家全滅の危機かと思いましたが、私は感染せず!!!
免疫力の高さに自分で感心したさくまです(笑)、どうもどうも(笑)



今日は、
家づくりの話とは少しだけ違うのですが、「地域」の話に目を向けて。

この間参加した ネオマリーダーズクラブ講演会

この内容があまりにも良かったので、皆様にもシェアさせていただこうかと!!!

テーマは

「北海道ボールパーク F ビレッジ 小さな町の未来への挑戦」

そうなんです!!!

今を時めく日本ハムファイターズ本拠地エスコンフィールド北海道

日ハムが北広島に来るまでの裏話がたくさん聞ける講演会だったんですよ~スター

講演を行ったのは、北海道ボールパーク「Fビレッジ」の中核を担ってきた

北広島市副市長・川村裕樹さん。

川村副市長の講演を聞いて、
どうしてもシェアしたくなった“日ハム誘致の裏側”。

(何を隠そう私 
2歳から北広島に住んでいる、北広島市民でもあるわけで(笑)!)

北広島に住んでいる方にはもちろん、
北広島に住みたいと思っている方、

エスコンフィールド北海道に興味がある方、
まちづくりに興味がある方、皆さんにぜひ聞いてほしいお話でした お願いキラキラ

ワクワクが伝わるようにまとめてみましたので

よろしければお付き合いくださいね♪
(前半は誘致までの流れ、次回後半では組織作りなどについてまとめます!)

■あの土地は、もともと“運動公園の夢”だった

実はボールパークが建った場所、最初から野球のためじゃなかったんです。

昔、広島町だった頃に

「ここに大きな運動公園をつくろう」という都市公園の計画があり、

実施設計まで進んだのに、その後宅地開発が優先された結果、実現できずに50年近く眠っていた32 ヘクタールの広大な土地でした。

北広島市は札幌のベッドタウンとして人は増えたけれど、
「通りすがりの町」「寝るだけの街」になりつつあり、人口減や高齢化も課題だった…

(↑実際、大手ハンバーガーチェーン店さえも
なくなっちゃう街だったりしてさー…えーん

そんな背景を聞くと、今回の誘致がただの“球場づくり”じゃないことがスッと入ってきました。

■転機は2015年。「本当に運動公園を作れるのか?」

きっかけは、市長選。

当時、当選した上野市長が「運動公園を作りたい」という公約を掲げる中、
企画を任された川村さん(当時は企画部次長)は、

財政や、収益性、維持保全などを検討した結果、
「この規模の市では無理です…」
という最終レポートを市長に提出。

だけど市長から返ってきたのは…

「じゃあ、できる方法はないのか?」

という問いでした。

そこで市は、“民間の力”という選択肢に舵を切ります。

空港と札幌、周辺市町村からのアクセス環境という歴史的な価値に目を置き、この土地の価値を見出してくれる民間事業者を見つけていけたら…!

ここから市役所の挑戦が始まり、
そのターゲットの一つに「日本ハムファイターズ」が入ったそうです。

■ファイターズとの交渉で起きた、衝撃の一言

2015年12月。
「まずは二軍の試合でも…」くらいの気持ちで市が提案しようとした矢先。

ファイターズ側の担当者から出た言葉は―― 

「実は、札幌ドームを出る考えがあるんです」

そんな極秘事項だったそう(!)

この瞬間から、北広島市の歴史が動きだしたんだろうなぁと、聞きながらぞくっとしました。

そして驚くのが、移転を考えた理由。
これまでメディアで報道されてきたような、

・使用料が高いから
・人口芝が硬いから
…そんなことでは全くなくて、

人口減少というキーワードの中、これからどんどん野球をする人、見る人、そして支える人がいなくなってしまう
そんな中でスポーツチームが生き残るためには
“街づくりそのもの”に関わらなければいけない

「ただの球場」ではなく、
「未来をつくるプロジェクト」として考えていた。

根幹にあるのはプロスポーツチームとしてまちづくりに参画するという思想
この視点は、とても新鮮でした。

■ 全国30ヶ所以上との争奪戦。“北海道から出すわけにはいかない”

ファイターズは北海道内での野球興行権を持っていたため、
本拠地を固定するフランチャイズ契約を結んでおらず、他の候補地も含めて検討していました。

移転先として
静岡、茨城、四国…
全国30ヶ所以上が候補に挙がっていたと聞いて、本当に驚きました。

そんな中、市の担当者たちは

「北海道から出してはいけない」

という強い使命感を持って挑んだそうです。

そして市長は
市議会22名全員からの賛成を取るという“ほぼ不可能ミッション”を指示。

でも、それをやり遂げたんです。すごすぎる…!

■ 日本ハム本社に半年通い続けて未来を語った

球場建設は600億円以上の巨大プロジェクト。
子会社レベルではなく、親会社(日本ハム本社)の承認が必須でした。

北広島市は半年間、東京と大阪に通い、
「北広島の未来」をプレゼンし続けたそうです。

その不屈の粘りで、親会社からの正式な承認を獲得。

市役所って、こんなに“走る組織”なんだ、と価値観がひっくり返るお話でした。

■ 開業日が“先に決まっていた”という衝撃

そしてさらにすごいのがここ。

本格的に誘致先が決まる前の段階で、
ファイターズはすでに決めていたのは…

「2023年3月に開業する」

普通、市役所などの公的機関が動くためには、
予算や条例は議会の承認が必要なため、民間のような即断即決ができないという問題があります。

また、「前例がない」「やったことがない」という理由で、物事を入り口で止めてしまう傾向もあるそうです。

でも、最初に開業時期が決まっていたファイターズのスピード感。

そしてそのスピードに、行政が必死に食らいついた。
ここに私は、官民連携の“覚悟”みたいなものを感じました。

■ そして2018年3月。北広島市に決定。

多くの交渉を経て、
2018年3月に正式に決定。

ここからの設計・工事・制度調整は、
信じられないスピードで動いていきますが、

それはまた次回に…!

■ 小さな町の、大きな挑戦

日ハム誘致は、ただの「球場づくり」ではなくて、

北広島市が未来をつかみに行った“挑戦の物語”だったんだなと理解できました花

・無理だと言われた土地
・財源の壁
・制度の壁
・全国の候補地
・市議会の承認
・日本ハム本社への説得
・前例のない制度調整

その一つひとつを、
“どうしたらできるのか?”と考えながら超えていった。

川村副市長のお話を聞きながら、
「まちづくりって、人の熱量で動くんだなぁ」と、しみじみ…。
一人一人の方の【情熱】が、
物事を大きく動かして今があるんだな。と。

私自身北広島に長年住んでいて、
学生時代、北見や札幌に住んでいた時期もあったけど、結局きたひろが好きで戻ってきて。
(↑緑多く、静かで住みやすい!)

ただ、Uターンで戻って来てみたら
私が子供の頃よりも店舗もバスの本数もどんどん減って、小学校も統合が進んでいて…
(娘の上の学年も1クラスになってたり!)

正直、
「北広島、このままで大丈夫かな…?」
そう不安にも思っていたので、誘致が決まった時は、

「これで町の流れが変わる!」と、
本当に嬉しかったことを、思い出しましたウシシ

(市民はかなりウェルカム!!だった人が多いんじゃないかな^^)

川村副市長の組織作りの視点も、
めちゃくちゃ勉強になったので、後半もぜひぜひお楽しみに…!!

ちなみに、

ボールパークが来るまでの話は本も出ておりますーーー!!!
(私もポチっとしちゃいました(笑))
気になる方ぜひです〜ニコニコ

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
インフルエンザに気を付けてお過ごしくださいね!